安仁神社由緒
ご祭神
五瀬命(いつせのみこと、初代 神武天皇の長兄)
稲氷命(いなひのみこと、同 次兄)
御毛沼命(みけぬのみこと、同 三兄)

瑞垣御門から本殿を望む

拝 殿
社格等 式内社(名神大) (元)備前国一宮
旧国幣中社 別表神社
本殿様式  流造
ご利益
 国土安全・国家安泰・五穀豊穣・海上安全・交通安全・商売繁盛・家内安全・厄除開運・身体健全・無病息災・延命長寿・学業成就・当病平癒をはじめ、心願成就など諸願の成就

岡山県岡山市東区西大寺一宮895

(tel)086-946-1453           

(fax)086-946-1481           

ご鎮座由緒 当社の創立年月日は不詳である。
「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。
古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。
御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。
この社地は、宮城山(みやしろやま)、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上にあった。
その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座した。
明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。
大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は荘厳で隆盛な神域であった。
昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。
『古事記』『日本書紀』の神話や明治期に古記録を再編纂した『安仁神社誌』によると、 末弟の若御毛沼命(わかみけぬのみこと、後の神武天皇)と共に、日向国(現在の宮崎県)から大和国(奈良県)へと東進する途中に神社近在へ数年間滞在される。 この時に地域住民に稲作や機織りなどの殖産事業を大いに奨励された。後年、難波津(大阪湾)での対抗勢力との戦いでの傷が致命傷となり、 体制を立て直すためにたどり着いた木国(きのくに、和歌山県)でついに薨去(落命)された。
神武天皇即位後、皇兄の産業奨励を顕彰して「兄を祭る神社」、安仁神社が創建された。
五瀬命
系図

 五瀬命は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と玉依毘売命(たまよりびめのみこと)との間に生まれた四人の男子のうちの第一子である。第二子の稲飯命は母の国である海神の国へ行き、第三子の御毛沼命は外国へ渡ったと伝えられている。第四子が若御毛沼命といって、のちの人皇第一代神武天皇となった神である。

 五瀬は厳稲(いつしね)であるといわれ、穀物すなわち食料の神と考えられている。

ある日、五瀬命は、弟若御毛沼命と「天下の政(まつりごと)を行なうのはどこがよいか」と相談した結果、大和こそ理想の地であるとの結論により東行を決めたのである。
二人はただちに大軍を率いて、海路日向の高千穂の宮を出立した。安芸国(広島県)ー吉備国(岡山県)を経て、ようやくのことに摂津(大阪府)に上陸した。河内(大阪府)には長髄彦(ながすねひこ)という敵の大軍に迎えられ、頑強に抵抗されたため、利あらず、あまつさえ五瀬命は、この戦いで矢に当たり重傷を負うという状況に陥ってしまった。「日の神の子であるわれわれが、日に向かって戦ったのがよくなかった。一たん退いて迂回し、日を背にして戦おう」と、海路紀伊熊野を目指した。しかし五瀬命は、途中紀伊の雄港で容態が悪化し、遠征なかばにして遂にこの地で薨去した。


左補神社
(さほじんじゃ)
 ご祭神は幾許神(いくばくのかみ)。本殿の左右に向かい合うように建立されている。主祭神の五瀬命に日向国より付き従った将軍たちを斎祭る。右補神社は平成16年春に、お屋根換えを終える。
右補神社
(うほじんじゃ)
荒神社
(こうじんじゃ)
 ご祭神は台所の神様である、お土公様(おどくうさま)。家内安全の神様として近在の信仰が篤い。
稲荷神社
(いなりじんじゃ)
 五穀豊穣・商売繁盛の神様、稲荷大神を祭る。農・商・工業者をはじめ、広く信仰されている。
出雲大社遙拝所  島根県大社町にある別名、居杵大社のご祭神、大国主命を拝する。縁結びをはじめ国譲り神話から国家安泰を祈る姿が見受けられる。
伊勢神宮遙拝所  三重県伊勢市にある内宮、天照皇大神(あまてらしますすめおおみかみ)様と外宮、豊受大神(とようけのおおかみ)様を拝する。日神である天照皇大神様の安仁神社近在での信仰は新春神宮参拝とともに益々高まってきている。
滝神社遙拝所  安仁神社東側の丘陵上に鎮座いたします水神さまをお祭りする。遙拝所の左手にはご神域を源とする「ご神水」が流れ出ている。
天神社遙拝所
 (てんじんじゃ
ようはいじょ)
 安仁神社の南方、東片岡に鎮座し、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭る。末社となった仔細は詳らかではないが、地域住民に敬愛され今日まで守られ続けている。
綱掛石神社
遙拝所

(つなかけいしじんじゃ 
ようはいじょ)
 伝説によると、主祭神である五瀬命が近在に初めてお越しになったときに付近は深い入り江で、船の艫綱(ともづな)を掛けて停泊した石が後年、信仰の対象となったといわれる。現在は安仁神社から東南の山頂に社殿が所在する。
伊登美宮
遙拝所

(いとみぐう
ようはいじょ)
 安仁神社の南側丘陵上に位置する神社を拝する。「伊登美」とは「営み」の字訓の転で、かつて五瀬命に付き従う将兵が兵舎を営んだ地点との伝説が残されている。
松江伊津岐神社
遙拝所

(まつえにいつきじんじゃ
  ようはいじょ)
 安仁神社の末社で、北西の岡山市邑久郷に所在する。古い説話によると、吉備穴海(かつての海岸線)の波打ち際に船を留められた五瀬命は、地元住民たちの饗応(もてなし)を甚く気に入られ去り際に自身が用いた松材の箸を砂浜に刺して根付いた(いついた)松が後に信仰の対象になった。ちなみに箸は使い捨てが基本で、『古事記』『日本書紀』には必ず折って投棄する記述が散見される。
随神門
(ずいじんもん)
参集殿前にある神門。左右に門を守護する随神さまを配する。
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